明導寺さんは一昨年、仏教伝道協会主催の掲示板大賞において見事「仏教伝道協会大賞」を受賞されました。また、大賞に選ばれた言葉が、雑誌「女性セブン」にも取り上げられました。
明導寺藤岡住職の解説と共に8月上旬の掲示板の言葉をご覧ください。
<明導寺 8月上旬 掲示板の言葉>
お盆 先立った 懐かしい方々が
私と 仏さまとの 縁となる
日本各地で連日の猛暑が続いていますが、いよいよ「お盆」の時期になりました。
例年ですと、ふるさとへ帰省する方々で駅や空港、高速道路が混雑しますが、爆発的に感染者数が増加しているコロナ禍ゆえ、今年も帰省を躊躇う方も多いのかも知れません。
お盆の時期になると、メディアでもお墓にお参りをされる姿が映し出されるように最も暑いときに、ふるさとや先立って往かれた方々に思いを馳せ、大切に過ごされている光景を目にされることも多いことでしょう。
お盆は、正式には「盂蘭盆(うらぼん)」と言いますが、別の言い方では、「歓喜会(かんぎえ)」とも呼ばれており、
「歓」は 身によろこびがあふれることであり、
「喜」は 心によろこびがあふれることである
と『一念多念証文(いちねんたねんしょうもん)』に記されています。
それでは、なぜ「お盆」が、「悲しみ」ではなく「よろこび」のご縁になるのでしょうか。
特に「初盆」を迎えられる方にとっては、かけがえのない方がお亡くなりになり、「悲しみ」や「つらさ」はとても大きなものだと思います。
絶望にも似た思いが心の中を犇めいているのかもしれません。
しかし、亡くなった方は「悲しいもの」「つらいもの」になった訳ではなく、仏さまとなられて、私たちを包み、照らし、育んでくださっています。
「できることなら、もう一度会いたい」という気持ちが増幅している方々にとって、「お盆」は、亡き方に再び「出会う」ことのできるご縁だといえるのかもしれません。
人は去っても その人の言葉は残る
人は去っても その人の温もりは残る
人は去っても その人のやさしさは残る
いま私の合わす手の中に かえってきてくださる
この言葉を、「初盆」のご縁でお参りされる方々に紹介させて頂きます。
懐かしい方々のご生涯を偲び、共に過ごした記憶やご恩を振り返りながら、感謝の思いで仏さまに手を合わせるご縁を頂いているのは、先立たれた方々が、仏さまとなって私に「はたらき」を届けてくださっているからであり、いのち終えて往かれた大切な方々は「お盆」の時期だけでなく、私がお念仏を称える(となえる)その時に、すでに至り届いてくださっているのです。
この「私」もお浄土へ生まれるみ教えに出遇わせて頂いていることを、私自身が称えている「南無阿弥陀仏」のお念仏から頂くことができたとき、よろこびがあふれる「歓喜会」としてのご縁となるのでしょう。
「悲しみ」深きご縁が「よろこび」へと転ぜられる「お盆」を大切に過ごしたいと思います。