雨吹山(裏鬼門)
エリア/ 南西/人門 ジャンル/ 神と仏20代相良長毎が朝鮮出兵の際、森の中で路頭に迷う子供を連れて帰った。その後その子は、心覚坊という名の修験道の高僧となった。長毎が死去すると、翌年命日にこの雨吹山で殉死をとげたという。現在この地に心覚坊の墓がある。
城から南西・裏鬼門の方角に、18代義陽〜20代長毎が関係する神社仏閣が見当たらない。18代義陽の時代まで、裏鬼門は相良家にとって最重要寺院の1つである永国寺であった。しかし戦国時代に活躍した18代義陽はコンパスを用いて、三日月城を中心に鬼門ー裏鬼門のラインを引いた。つまり行政府兼居住である「御館」と相良家菩提寺・願成寺にある初代長頼の墓を直線ラインで引き直した際に、永国寺が裏鬼門のラインからずれていることに気づいたのだろう。
18代義陽は代々相良家当主候補の修行の場であった永国寺を裏鬼門として敬意と役割を持たせつつ、コンパス上の裏鬼門方角に何かしらの神社仏閣の計画を立てたのではないか。
その後義陽が戦死し、幼い子供らが家督を継ぎ、三日月城、青井阿蘇神社、老神神社、十島菅原神社と完成させたものの、すぐに江戸幕府がスタートし、参勤交代が始まり、藩の財力などが落ちる中、裏鬼門は未完成で残っていたのではないか。それゆえ、長毎の想いを知る心覺坊が自らの命と引き換えに風水都市を完成させた。
師弟の固い絆に想いを馳せることができる地でもある。
名称
雨吹山
読み方
あまぶきやま
住所
〒868-0075 熊本県人吉市矢黒町
三日月城から車で9分
駐車場
有り(無料・5台程度)