明導寺さんは昨年、仏教伝道協会主催の掲示板大賞において見事「仏教伝道協会大賞」を受賞されました。
明導寺藤岡住職の解説と共に10月上旬の掲示板の言葉をご覧ください。
<明導寺 10月上旬 掲示板の言葉>
自分だけが 我慢していると思っていて
相手から 我慢されているということが 分からないのです。
【米沢英雄(医者)】
お彼岸も過ぎて、人吉球磨地方は霧が発生することもあり、朝晩は秋の到来を感じますが、まだまだ暑さが残る先月、お彼岸のご法話で鳥取市にお伺いするご縁を頂きました。
綺麗な川が流れ、日本海の近くとはいえ山間部にある風光明媚な田園地帯に
お念仏と共に生き抜かれた源左(げんざ)さんの生家がありました。
浄土真宗のみ教えを何よりも大事にされた源左さんには、たくさんの逸話があり
『妙好人 因幡の源左』(百華苑)には、様々な珠玉の言葉が記されています。
村人が源左さんに
「わしゃ癇癪性(かんしゃくしょう)でやあ」と云うと「旦那さん、なんとあんたはええものを持っとなんすなあ。癇癪は癇癪玉ちって、寶(たから)ですけなあ。玉ちゅうものは、めったに人に見せなはんすなよ」
信頼される人であったからこそ、周りの方々から相談や悩みを打ち明けられたのでしょう。
その村人たちからの相談や悩みに対して、決して人を否定することなく、
仏教を拠り所として導き出される的を射た答えは、何とも明快で惹きつけられる魅力があります。
ある日、遠く離れた寺院に西田天香という高名な僧侶が講演に来られると聞きつけた源左さん。
わざわざ出向くことになりましたが、列車を乗り継ぎ10キロ以上の徒歩ということもありあいにく時間に間に合わず、寺院に到着したときには講演は終わっていました。
しかし、気の毒に思われた西田師は宿に呼ばれ、師の肩を揉みながら問答が始まったのです。
(源左)「今日のお話しは、どがなお話しでござんしたな。」
(西田)「お爺さん、年が寄ると気が短くなって、よく腹が立つようになるものだが、何でも堪忍して、こらえて暮らしなされや。そのことを話したんだが。」
(源左)「おらは、まんだ人さんに堪忍してあげたことはござんせんやあ。人さんに堪忍してもらってばっかりをりますだいな」
この言葉を聞いた西田師は、何度も聞き返し、三舎を避けたと言われています。
私たちは、自分の目で見たことや耳で聞いたことに自分の感情を押し込みながら他人を裁き、ああでもないこうでもないと言い放つ、どこまでいっても自分中心の私の姿があります。
さらに言えば、その自分中心の姿にすら気づかず、驕り高ぶっている私ですが、源左さんは、仏さまの光を頂きながら常に自分自身をみつめていかれたのでしょう。
聖徳太子が『十七条の憲法』の中で下記のように記されています。
自分がいつでも必ず正しいということでもなければ、相手がいつでも間違っているということでもない。お互いに自分中心のわがままな心を捨てきれない人間なのです。
仏法の鏡によって、ありのままの姿が知らされるということは、苦しいことかもしれません。
しかし、同時に仏さまの大きなはたらきの中にいることを実感することでもあるのです。