明導寺さんは一昨年、仏教伝道協会主催の掲示板大賞において見事「仏教伝道協会大賞」を受賞されました。
明導寺藤岡住職の解説と共に3月下旬の掲示板の言葉をご覧ください。
<明導寺 3月下旬 掲示板の言葉>
人は 親を亡くして 親を知り 親を亡くして 親と出遇う 【津村別院「掲示板」より】
3月15日(火)深夜1時20分、明導寺第七世 坊守・光明院釋知教(藤岡知加子)が26,815日の生涯を終えて、お浄土の仏さまとならせて頂きました。
ご縁を頂いた皆様方には大変お世話になり本当に有難うございました。本人の意向により、病気のことはお知らせしておりませんでしたが、毎年受診していた令和2年6月の「健康診断」で肺に異常がみつかり、入念に検査したところ「肺がん」ステージ4の宣告を受けました。入退院を繰り返しながら抗がん剤の治療を行いました。それ以来、豪雨被害が重なり、治療薬が入らず入院が延期になるなどしましたが、令和3年の一年間は、治療が功を奏し、入院ではなく通院で補えることの方が多く、体調の良い日を選んでは、境内の掃除や花のお世話、孫たちの衣(ころも)を作ったりと限りあるいのちの中で生かされている有り難さを感じながら大切に日々を過ごしていました。結果的に最後の法要となった令和3年12月18~20日の「明導寺報恩講」では、体調が優れない中、明導寺で代々受け継がれている若坊守が作った座禅豆を坊守・若坊守・娘の女性3人でパック詰めし、子供たちの衣の着付けもしてくれました。今年2月4日の投薬日に通院したところ、肺がんから脳への転移がみつかり再入院となり、少しずつ全身に癌がまわり、一気に下降線を辿ることになりましたが、脳卒中なども併発したことで「痛み」を感じる神経が機能しなくなり、最後まで痛み止めなどの薬を使わず、静かに息を引き取りました。
通夜・葬儀を前にして、すでに多くの方々にお参り頂いておりますが、坊守の様々な話を聞かせて頂くことで、家族でも知らなかった思い出を話していただき、改めて「親と出遇う」貴重なご縁を頂いております。
最後のお聴聞となった報恩講にご出向頂いた義本弘導先生から聞かせて頂いた法話の中で仏さまと「あう」という字は、「遇う」という字を使います。「禺」という字には「頭の大きな猿」という意味がありますが、自分自身のことだと捉えてください。「辶 」の部分で、「辶」には「進む」という意味があり、自分自身にとっては、ばったり出遇ったようであるけれども、実は、仏さまが「あえよ、あえよ」と 働いてくださっていたからであり、私自身が気づく前から私の人生を支えて頂いていた事実を教えて下さっているのです。 とお話し下さいました。
生前中は、親として私を導いてくれたその働き以上に、仏さまとなって働いてくださる力強くも有難い「温もり」に喜びを感じながら大切に生きて往きたいと思います。