明導寺さんは一昨年、仏教伝道協会主催の掲示板大賞において見事「仏教伝道協会大賞」を受賞されました。
明導寺藤岡住職の解説と共に2月下旬の掲示板の言葉をご覧ください。
<明導寺 2月下旬 掲示板の言葉>
流した涙は いつしか
一筋の光に 変わる 【 ゆず 「虹」 】
立春を過ぎても、人吉球磨では雪が積もる日があるなど厳しい寒さが続きますが、日中は太陽の光に暖かさも感じるようになり、少しずつ境内にある梅の花が開き始めました。
2月上旬で解除される予定だった「蔓延防止措置」が来月まで延長され、熊本でも、まだまだ先の見えない状況に今は我慢の時期だと感じています。
このまま収束を迎えるのではないかと勘違いするような落ちついた状況だった昨年の大晦日、「紅白歌合戦」にて ゆず の「虹」を久しぶりに聞くご縁がありました。
改めて、この歌を聴かせて頂きながら感慨にふけると共に、頭に浮かんだのは、
オリンピックの舞台で躍動する選手たちの姿であり、現在も、「冬季五輪」での
日本選手活躍を「ゆず」の曲に乗せて放映されている場面を目にします。
今回は、その「虹」に出てくる歌詞の一部を書かせて頂きました。
アスリートの表面だけの活躍を切り取って報道されることの多い昨今ですが、
この曲が流れることにより、アスリートの活躍の影には多くの方に支えがあり、
努力の過程で流した涙が活躍の源泉となっていることを教えてくれているような気がします。
しかしながら、オリンピックで活躍できる人は、本当に僅か一握りで、
上手くいかないまま競技を引退されることも多い現実があります。
であるならば、「流した涙」は「一筋の光」に変わらないのか・・・?
先月、娘さん方に見守られながら、大切なご門徒のお一人がいのちを終えて往かれました。
いつも仏さまに手を合わせる生活を実践されながら、明導寺にてご法座が勤まるときは欠かさずお参りをされ、仏さまのお話しを聞くことを何よりの喜びとされていました。
話を聞きながら、頷いたり、笑ったり、時には大きな声で返答されたりとリアクションも大きく、法話された先生が「あの女性の方のリアクション有難いですね~。励まされます」と
おっしゃるほど存在感抜群で、私自身も多くのお育てを頂いた方でした。
葬儀をお勤めさせていただいた後、喪主である娘さんが御礼の挨拶の中で、
母は、「病気になったお陰でみんなが帰ってきてくれて会うことができた。
病気も有難かった。嬉しかった」と話し、お浄土へ還らせて頂きました。
とおっしゃってくださり、熱い思いがこみ上げ、思わず涙が流れてきました。
「流した涙」は、仏さまからのあたたかな光を頂いている事実を受け止めることにより、意味が増幅され、今後の人生の支えとなる「光」となるのです。
また、確かな仏さまの「光」を拠り所としながら人生と歩むとき、世間では敬遠されるような病気や怪我などの自分にとって不都合な出来事が、それもご縁であると受け止めることが出来る人生へと転換されていくのだと受け止めています。
健康は ありがたきかな 病みも ありがたきかな いただくばかり
(岸上たゑ)