明導寺さんは昨年、仏教伝道協会主催の掲示板大賞において見事「仏教伝道協会大賞」を受賞されました。
明導寺藤岡住職の解説と共に7月下旬の掲示板の言葉をご覧ください。
<明導寺 2021年 7月下旬 掲示板の言葉>
なにげない ふつうの一日に
ありがとう 【『人生にエールを。』リベラル社】
今年も梅雨末期の集中豪雨により、熱海を始め全国各地から被害が報告され、
画面を通じて凄惨な状況を目の当たりにすると、胸が締めつけられる思いです。
昨年、甚大な被害を受けた「人吉・球磨」は、大きな被害はありませんでしたが、2度にわたる集中豪雨があり、今後も予断を許さない状況に変わりはありません。
「50年に一度」や「数十年に一度の豪雨」などが耳慣れたフレーズになりつつあり、日本では、7月上旬の豪雨被害が5年連続となった事実に目を向けると、
自然現象の発生自体を抑えることは出来ませんが、自分たちで事前の備えを万全にし「減災」に取り組んでいく必要があるように感じます。
さて、発災から早くも1年が経過し、7月4日に本願寺人吉別院にて
宗派を超えて熊本県内各地の僧侶が集い「一周忌追悼法要」がお勤めされ、
人吉別院の御門徒の皆様方、国会議員さんや人吉市長さんにもお参りいただき、
改めて、先立って往かれた方々に思いを寄せる時間となりました。
その厳粛なる雰囲気の中で、大切なご家族を亡くされたご遺族の方々は、
涙を堪えながら手を合わせていらっしゃる姿がありました。
法要前に、被災された方々とも久しぶりにお目にかかることができましたが、
その中のお一人がしみじみと発せられた言葉が印象に残っています。
今まで気づきませんでしたが、災害に遭い、1年経って思うことは、
代わり映えのない一日がどれだけ有難いかということがわかりました。
目に涙を浮かべながらおっしゃるその言葉に、深い頷きを頂くひとときとなりました。
仏さまが教えてくださることの大きなひとつに「ご恩」がありますが、
「恩」という言葉は、語源を辿ると「なされたことを知る」という意味があり、
今こうして生かされていることに感謝していくことの大切さが説かれています。
しかしながら、私たちは、無意識のうちに「ふつうの一日」が当然のことと認識し、感謝するどころか、何気ない一日が永遠に続くかのような錯覚に陥っているのです。
コロナ禍や豪雨被害で「ふつうの一日」を突如として失ったことで、何気ない日常の有り難さに気づかせて頂くご縁になったのかもしれません。
これまで、自分の力で生きていると錯覚し、何もかも当たり前だと日々を過ごしていた私がこれまでの経験をご縁として、仏さまの光を頂きながら我が身をみつめるとき、「なにげない ふつうの一日」は、自分の力で成り立っているのではなく、様々な方々のお陰によって創り出された「特別な日」だったと知らされます。
さらには、コロナ禍や自然災害で苦悶している「ふつう」とは言えない日々の中でも、沢山の「ご恩」を頂きながら生かされている事実に目を向け、感謝の心を大切にしながら
仏さまに手を合わせる日暮らしを送らせて頂きたいと思います。