明導寺さんは昨年、仏教伝道協会主催の掲示板大賞において見事「仏教伝道協会大賞」を受賞されました。
明導寺藤岡住職の解説と共に7月上旬の掲示板の言葉をご覧ください。
<明導寺 7月上旬 掲示板の言葉>
頑張ろう 頑張って よりも
大丈夫 心配ないよ と 言って欲しい
【伊藤みどり(『朝日新聞』歌壇より)】
熊本県南部を襲った「令和二年七月豪雨」から、7月4日で一年を迎えます。
発災後、検証が続けられた中で、猛烈な豪雨による河川の氾濫は「川の津波」とも言われ、67人の方の大切ないのちが奪われ、いまだに2人の方が行方不明の状況にあります。
世界中がコロナ禍で大変な状況にも関わらず、全国各地からのあたたかいご支援により、様々な紆余曲折がありながらも、少しずつ前を向いて復興の道を歩んでいます。
さて、10年前になりますが、本願寺にて「親鸞聖人750回大遠忌法要」がお勤めされ、直前の東日本大震災で「被災されたすべての方々の悲しみに寄り添う」ことに配慮しながら、110座にわたる法要に全国各地から沢山の方々がお参りされました。
私たちもお参りさせて頂いた法要の中で、福岡県の松月博宣先生(海徳寺さま)が被災された伊藤みどりさん(福島県)の今回の掲示板に書いた「ことば」を用いながら、悲しみに「寄り添う」ことの難しさ、「頑張れ」という言葉がもたらす意味、そして、仏さまのはたらきの有り難さをご法話くださったことが強く印象に残っています。
5年前の「熊本地震」後と同様に、今回の「豪雨被害」後も、熊本県内のあちこちで「頑張ろう!人吉・球磨」や「がまだせ!(熊本弁で「頑張ろう」の意味)熊本」の言葉をテレビやラジオ、看板やポスターなどで頻繁に見聞きする機会がありました。
もちろん、この言葉に励まされた方も多かったのは事実ですが、発災直後から、2階まで浸水した住居を泥だらけになりながら作業される高齢の女性が「頑張れ」と言われても、もう頑張りきらんです。私たち年寄りだけでは限界です。
と、疲労困憊のご様子でおっしゃられた言葉が今も脳裏に焼き付いています。
コロナ禍でボランティアも限られ、連日の酷暑の中での作業で極限状態にある方々にとって、「頑張ろう」という言葉は響かないどころか、逆に追い込まれる言葉となっていたのです。
親鸞さまがお慕いになられた「七高僧(しちこうそう)」のおひとり善導(ぜんどう)さまが
仏さまは、いつでも私の方を向いてくださっています。私に背中を向けられることは決してありません。どれだけ逃げても、先回りして、対面してくださいます。
と『般舟讃(はんじゅさん)』の中でお示しくださっています。
私たちがいかなる状況にあろうとも、仏さまは「頑張れ」という励ましではなく、「大丈夫。私に任せなさい」と真正面から寄り添い続けてくださるからこそ、苦しみの中からも、私たちは生きていく力を頂いているのです。
世界中の気候が変化し、いつ災害が起きるかわからない状況であることから
誰もが「大丈夫、心配ないよ」とは言えなくなった今だからこそ、
いかなる状況にあっても、仏さまが「大丈夫だよ」と私に寄り添い、包み育んでくださるそのはたらきを拠り所とさせて頂きながら復興への道を歩んで参りたいと思います。