人吉・球磨 風水・祈りの浄化町にある明導寺さんからのご案内です。
明導寺さんは昨年、仏教伝道協会主催の掲示板大賞において見事「仏教伝道協会大賞」を受賞されました。
明導寺藤岡住職の解説と共に2月上旬の掲示板の言葉をご覧ください。
<明導寺 2021年 2月上旬 掲示板の言葉>
鬼は外 どこにいるのか 探しおり
豆撒くべきは 我が胸のうち
【三浦唯正(島原市 浄源寺住職)】
この時期になると、保育園や幼稚園に変装した鬼が登場し、
園児たちが泣きながら鬼に向かって「鬼は外!福は内!」と
豆を撒く様子がテレビに映し出されます。
今年は、「コロナ外!福は内!」という人がいるかもしれません。
(節分は仏教行事ではありません。中国から入ってきた習俗です)
近年、若者の間では「鬼強い」とか「鬼ヤバ」「鬼アツ」など
「鬼」をつけることで、後に続く語句をさらに強調する使い方があるようです。
「鬼滅の刃」も大流行しましたし、少し前には、「鬼嫁」という言葉が流行りました。
他にも「鬼監督」「鬼コーチ」「鬼軍曹」「あの人は鬼だ」など
「怖い」や「恐ろしい」、「強い」などの意味で使われることが多いようです。
では「鬼」とは誰のことなのでしょうか。「鬼」とは何なのでしょうか?
日常の中で、自分自身を「鬼」と表現する人は、皆無に等しいと思います。
自分自身にとって不都合な出来事が起きた時、
その原因すべてを自分の外に追いやり、遠い場所から傍観し、
他人を「鬼」という言葉で批判しているのかもしれません。
いつも冷静に判断した上で言葉を発し、行動を起こすことは不可能であるからこそ、
振り返ってみると、様々な機会があれば、思いがけない言動をする私たち。
それなのに、人間は「自分が正しい」という思いがあると、自分のことは棚に上げて
時には「鬼」という言葉を用いて、人を批判し裁きにかかります。
ある時には、誰かを批判し「あの人は鬼だ!」と指を指すとき
残り三本の指先は自分自身の方向を向いています。
その三本の指先を通して、他人を批判し「鬼」だと表現してしまう自分自身の愚かさに気づき、
人ではなく、自分自身が「鬼」のような存在であることを
仏さまが智慧の光で教えてくださっているのです。
人を傷つけたり、社会を混乱させる原因は、他人や他人の心の中ではなく、
私たち一人ひとりの心の中にあるという事実に目を向け、
ますます厳しさが増すコロナ禍の今だからこそ、
私自身がたくさんの迷惑をかけて生きていることに気づき、
どこに「鬼」がいるのかとあちこちを見回すのではなく、
自分自身の「心」を「言動」をみつめていきたいと思います。