明導寺さんは昨年、仏教伝道協会主催の掲示板大賞において見事「仏教伝道協会大賞」を受賞されました。
明導寺藤岡住職の解説と共に12月上旬の掲示板の言葉をご覧ください。
<明導寺 12月上旬 掲示板の言葉>
あなたが空しく生きた今日は 昨日死んでいった人が
あれほど生きたいと願った明日なんだ
【小説「カシコギ」 (韓国)】
師走に入り、山々に囲まれている人吉球磨地方では、天気予報が「晴れ」であっても、盆地特有の朝霧が昼前まで存在し、さらに寒さを増幅しているように感じます。
しかし、それにより美しい空気がさらに洗練され、豪雨被害から1年5ヶ月ぶりに部分開通した「くま川鉄道」の線路を走る「ゴトンゴトン・・・」という鼓動が心地よく響き、地域が少しずつ復興へと動き始めていることを実感し、喜びの源泉ともなっています。
さて、「明導寺秋季永代経法要」に常徳寺・森川晋乗先生(姫路市)がお越しになり、ギター・歌・ハーモニカなどの音楽と法話を交えた「ギター法話」にてご教導頂き、44歳で いのち を終えていかれたご友人の話にふれられた中で、
韓国の「カシコギ」という小説で用いられた言葉をご紹介頂きました。
元気でいると思っていた友人の突然の訃報により、悲しみばかりを抱えながら過ごす日々。
そんな状況を打破できたのは、別の友人からの
「悲しいけどよかったな。だって、あいつは今、お浄土で仏さまになったんや。お浄土でまた会えるんやなあ。よかったなあ。」
という言葉だったとお話し下さいました。
浄土真宗をお開きくださった親鸞さまは、晩年に門弟に送られた手紙の中で
私は、今はもうすっかり年を重ねてしまい、きっとあなたより先にお浄土に
生まれることになるでしょう。お浄土で必ずあなたのことを待っています。
と記されており、お念仏を頂く私たちは、いのち終えて死んでいくのではなく、
仏さまの国「浄土(じょうど)」へ生まれる いのち なんだとお示し下さっています。
また、再び会える世界があることを『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』の中では「倶会一処(くえいっしょ)」と示されており、別れの寂しさは尽きることがありませんが、お浄土で再び会える世界があることの確かさを喜ぶことができるのです。
森川先生は『よろこび』(作詞 和治恵/作曲 森川晋乗)という曲もご披露くださいました。
み仏と二人思えば寂しさも なきて今日の日 よろこび終わる
悲しみの中で出遭えた 南無阿弥陀仏
あと僅か 明日とも知らぬ我がいのち 今日のこの日を よろこび生きむ
よろこびの中で 称える 南無阿弥陀仏
み仏の やさしさ み手に抱かれて 心おきなく還浄(かえる)うれしさ
弥陀の手の中に 生かされる 南無阿弥陀仏
この私のいのちは、限りあるいのちであるという事実をしっかりと見つめ、
お届け頂いた歌詞を味わいながら、一日一日を大切に生きていきたいと思います。