明導寺さんは昨年、仏教伝道協会主催の掲示板大賞において見事「仏教伝道協会大賞」を受賞されました。
明導寺藤岡住職の解説と共に11月下旬の掲示板の言葉をご覧ください。
<明導寺 11月下旬 掲示板の言葉>
生きていて 何もなかった人なんて いないでしょう。
何かしら 痛みはあるでしょう。
【NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』】
興味深く見ていたNHKの連続テレビ小説『おかえりモネ』が先月末に終了しました。
海の町・気仙沼に生まれ育ち、森の町・登米で青春を送るヒロインの清原百音(ももね)が東京で気象予報という天気に向き合う仕事を通して、人々に幸せな未来を届けていく物語。
これまで経験したことのない豪雨被害や酷暑など、異常気象が発生している今だからこそ、防災の意識を高めるためにも一石を投じたドラマだったように思います。
また、空と山と海が繋がっていることを実感させる場面やフレーズが多く見られ、漁師さんが山に植林をすることなど、あらゆるものがつながりあって存在するという、仏教で説かれる「縁起」を強く意識しているようにも感じました。
今回は、そのドラマの中で、奇しくも「防災の日」である9月1日に放送された
気仙沼に住む幼馴染たちが、震災当時を振り返る場面で語られた言葉を書かせて頂きました。
心の奥底にある葛藤や恐怖を吐露していく中、清水尋也さんが演じる「内田衛」が発した
生きていて、何もなかった人なんていないでしょう。何かしら痛みはあるでしょう。
という言葉を抜粋して書かせていただきました。
「人吉・球磨地方」を中心に発災した「令和二年七月豪雨」から500日が経過した今も、自宅には住むことが出来ず、仮設住宅に身を寄せている方が多くいらっしゃいます。
少しずつ仮設住宅を退去され、新たな住まいに転居される方も増えつつありますが、転居される際、挨拶を交わすこともなく突然に退去される方が多いと聞きます。
それは、いまだ仮設住宅から転居することができない方に対する配慮と、自分だけが先に転居してもいいのだろうかという葛藤があるからだと推察します。
ご自宅が大きな被害に遭い、困窮した生活を送られている方々に話をお伺いしても、「私は、まだ良い方です。もっと厳しい生活を送られている方がいらっしゃいますから」と謙遜される方が多く、なかなか支援が行き届かない現状があることも事実です。
自分だけでなく、周りの方々すべてが心に深い傷を抱え、それを背負いながら生活している現状を深く受け止めていらっしゃるのかもしれません。
災害だけでなく普段の生活の中でも、右往左往しながら生きていく私たち。
何かしらの「痛み」を誰もが抱え、悩み苦しみながら人生を歩むとき、
仏さまが、この私に寄り添い、照らし・包み・育んで下さいます。
それにより、「痛み」そのものが無くなる訳ではありませんが、
その「痛み」を共に受け止めて下さる仏さまの存在を実感できたとき、
私たちは、乗り越えて行く力と方向性を頂くことができるのです。
まだまだ復興へは長い道のりになりますが、仏さまのはたらきを頂きながら、
「痛み」を共有し、一歩一歩、丁寧に歩んでいきたいと思います。