人吉・球磨 風水・祈りの浄化町にある明導寺さんからのご案内です。
明導寺さんは昨年、仏教伝道協会主催の掲示板大賞において見事「仏教伝道協会大賞」を受賞されました。
明導寺藤岡住職の解説と共に5月上旬の掲示板の言葉をご覧ください。
<明導寺 2021年 5月上旬 掲示板の言葉>
ミスをしても怒らず 自分を受け入れる 【松山英樹】
今回は、マスターズ制覇の偉業を成し遂げた松山選手が「帰国記者会見」にて
今までは、ミスをしたときにすごく怒っていました。状態があがるにつれての苛立ちも
ありましたが、ミスした自分を受け入れていこうと思ってやっていました。
と語った深みのある言葉を要約させていただきました。
この記者会見のやりとりから、栄冠の背景には大きな心境の変化があったことが窺えます。
これまでの松山選手は、
ミスショットを打つ→苛立つ→苛立ちを他人にぶつける→自分に呆れる→自信喪失
というサイクルに陥り、なかなか結果を出すことが出来ず苦しんでいました。
しかし、今回優勝した「マスターズ」の直前に、
上手くいかないことに腹を立て、キャディーに当たったりしていた。チームのみんなに
迷惑をかけている自分を知ったとき「何をやっているんだろう」とハッと気づいた
と語っているように、自分自身の心の揺れや言動をみつめることにより、
ミスショットを打つ→ミスした自分を受け入れる→自分を信じる→自信継続
というサイクルを手に入れたことが勝利の源泉になっていたのです。
私たちも、普段の生活を振り返ってみると、誰もが「怒り」の感情を持ち合わせています。
その感情が頻発すると、自分でも理由がわからないまま不安になったり、
以前は気にならなかった些細なことでも「苛立つ」という悪循環に陥ります。
つまり、自分自身が「怒る」という行動を繰り返すことで、「怒る」ことが習慣化されていき、
遂には「怒りやすい」性格が構築されていくのです。
仏教では、「怒り」の感情の正体は、人間が抱えている「煩悩」であると説かれています。
「煩悩」の「煩」の中に、「火」という文字が含まれているように、
「ボッ!」と着火し燃え上がるが如く、突然「怒り」の感情が顔を出すのです。
また、親鸞さまが『一念多念証文(いちねんたねんしょうもん)』の中で
怒りや腹立ちやそねみや妬みの心ばかりが絶え間なく起こり、まさにいのちが終わろうと
するその時まで、止まることもなく、消えることもなく、絶えることもない
とお示し下さるように、「怒り」そのものを除去することは不可能な現実があります。
では、「それならば、仕方ない」と「怒ること」を安易に放置し認めてしまうのか?
そうではなく、親鸞さまがご自身で「怒り」から離れられないことを受け止められたのではなく、
仏さまの教えに出遇われ、その事実が明らかになったように、
まずは、仏さまからの光を頂いて自分自身を客観視してみましょう。
それは、ラウンドをみつめる「ギャラリー(ゴルフの観客の名称)」のように
遠くから俯瞰し、冷静に自分自身を「他人」のように捉えていくことで、
「怒り」により自分で自分を苦しめていた事実を受け止めることができるのです。
つまり、松山選手が語った「ミスした自分を受け入れる」ということは、
自分自身の感情に振り回されるのではなく、自分自身と向き合うことから始まるのです。