明導寺さんは昨年、仏教伝道協会主催の掲示板大賞において見事「仏教伝道協会大賞」を受賞されました。
明導寺藤岡住職の解説と共に12月下旬の掲示板の言葉をご覧ください。
<明導寺 12月下旬 掲示板の言葉>
見えないものと闘った一年は
見えないものに支えられた一年だった思う
【 令和2年12月「カロリーメイト」CM 】
今年も残すところ僅かな日数となり、令和4年へ向けてカウントダウンが始まりました。
今年を振り返ると、1年遅れで開催された「東京オリンピック」での「金メダル」ラッシュや大谷翔平選手の二刀流での大活躍、藤井聡太竜王の快進撃など明るい話題もありましたが、まだまだ「新型コロナウィルス」に支配され、様々な制約の中で過ごした一年でした。
さて、今年最後となる掲示板の言葉は、先の見えない迷路の中にいた昨年末、
テレビのコマーシャルで耳にした言葉を書かせて頂きました。
その内容は、見えないものと闘う中で心を通い合わせていく受験生と先生が描かれたCMで、新型コロナウィルスの影響で、今まで通りの学校生活を送ることが出来ず、青春のすべてをぶつけてきた部活動の大会は中止となり、そのまま引退。
そのような逆境の中で、時に心が折れそうになりながらも、ひたむきに頑張る受験生と不安や焦りを抱える受験生を思い、真正面から向き合い続ける先生との絆が描かれていました。
金子みすゞさんがつくられた「星とたんぽぽ」とう詩があります。
青いお空の そこふかく、海の小石の そのように
夜がくるまで しずんでる、昼のお星は目に見えぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。
ちってすがれた たんぽぽの、かわらのすきに、だァまって
春のくるまでかくれてる、つよいその根は目にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。
最近では、民間の方が宇宙を旅するなど急激な進化を遂げていることもあり、
自分の目に見えるものが全てであるという錯覚に陥っている現状があります。
しかし、仏さまの前に座り、我が身をみつめることが出来たとき、
私たちは目に見えないものに支えられ、照らされ、育てられている事実を受け取り、自分自身の「いのち」のあり方に気づかせて頂くのです。
晩秋から初春にかけて、お昼頃まで霧の中に存在することが多い人吉球磨地方。
その確率は年間100日以上と言われており、この時期は幻想的な雰囲気を醸し出し、天気が「晴れ」であっても、霧が晴れなければ太陽が顔を出すことはありません。
霧により乾いた大地に湿度が加わり、お昼頃に少しずつ太陽が顔を出してくるその光景は、見えないから存在しないのではなく、見えないけれども既に存在していたことを私たちに気づかせるための自然が織りなす演出のように感じます。
燦々と降り注ぐあたたかな太陽の光が、霧や雲に遮断されていても光輝いていた事実を知るとき、より一層、その光に優しさと力強さを感じることができるように、目に見えないものにも思いを馳せながら新年を迎えたいと思います。