明導寺さんは昨年、仏教伝道協会主催の掲示板大賞において見事「仏教伝道協会大賞」を受賞されました。
明導寺藤岡住職の解説と共に6月上旬の掲示板の言葉をご覧ください。
<明導寺 2021年 6月上旬 掲示板の言葉>
雨の日の 傘の有り難さはわかるけど
屋根のご恩は 大きすぎてわからない
熊本県南部で発生した「令和二年七月豪雨」から、まもなく1年を迎えます。
例年よりも極端に早く梅雨入りし、美しい青空に風薫るイメージの5月とは乖離した
昨年の悪夢を想起させるような集中豪雨が既に2度あり、不安の種は尽きることがありません。
唯々、大きな被害もなく何とか無事に雨量の多い時期を乗り越えることを願うばかりです。
さて、今回は『本願寺新報』に掲載されていた「詩」の一部を抜粋させて頂きました。
雨の多い時期には傘の存在は大変有難く、雨降る道中も傘があれば凌ぐことができますが、
我が家に到着すると、そこには屋根が存在することから、傘をたたみます。
ここで本来ならば、感謝の思いが「傘」から「屋根」へとシフトすべきところですが、
「雨が降り出したけれど、傘があってよかった」という声はよく聞きますが、
「雨が降っているけど、家に屋根があってよかった」とは言い難い現状があります。
「傘」と「屋根」の双方とも、雨で濡れることを防いでくれているのに何故でしょうか?
昨年末、「恩送り 復興支援リンゴ」のご支援を頂いた西敬寺(さいきょうじ)木賣慈教ご住職が
『築地本願寺 仏さまの教え』(YouTube)「真宗来門」のご法話の中で
「恩」の三つの性質を下記のように述べられています。
①大きくなればなるほどわかりにくい(逆に「小さい恩」は、よくわかる)
②(こちらから求めて与えられたものではなく)こちらが求めるより先に届けられている
③(「恩返し」とよく言われるが)決して返しきれるものではない
【島根県温泉津町「西楽寺(菅原昭生ご住職)ホームページ」より出典】
「傘」には感謝の念を抱いても、「屋根」にその思いが湧いてこないのは、
その「ご恩」があまりにも大きくて、当たり前だと捉えているからかもしれません。
常におぼつかない足取りの自分自身を振り返ってみると、
大きい「屋根」のような数々の「ご恩」に支えられ生かされているにも関わらず、身近で分かりやすいはずの「傘」にさえも感謝の念を抱いていない現状があります。
そのような私にも、「屋根」とは比較にもならない仏さまの無限のはたらきが
求めるより先に届けられ、包まれ育まれながら、お慈悲の中で生かされているのです。
日々の暮らしの中で、様々な「ご恩」に支えられ生かされている事実を受け止め、私自身を根本から支えてくださる仏さまのはたらきに感謝しながら、
このたびの豪雨被害をご縁として、全国の皆様方から頂いた有難きご支援を
「恩送り」として広げて参りたいと思います。