球磨川上流に 静かに佇む 「浄心寺」 を
三日月が やさしく照らしてくれています。
いま、世間はコロナウイルスの影響で
「緊急事態宣言」が 全国に発令され、
近年まれに見る 殺伐とした雰囲気が漂い
得体の知れない 恐れ を感じつつ
生活をされている方も多いことでしょう。
そのような中、
旧国宝である 浄心寺 の阿弥陀さまは
変わることのない、
あたたかなやわらかい まなざし で
私たちを みつめてくださっています。
「名詮自性(みょうせんじしょう)」という
仏教語がありますが、
これは「名は体を表す」と 同じような意味で、
名前そのものが
「本質」を表しているのだと教えて下さいます。
この「浄心寺」という寺号(寺院の名前)は、
究極の安らぎの世界「極楽浄土」を
「心」に頂きながら生きていきたいという
先人方の願いから寺院が建立され命名されました。
度重なる飢饉で飢え苦しむ姿、
戦によって いのち を終えていった人々の姿、
自分のいのちもいつ終わるかわからない、
死と隣り合わせの状況で
心の安らぎを得るために「浄心寺」と名付けられた
先人方の願いを聞き、
その願いを頂きながら名前を口にすることで
言葉としてより深い意味を持っていくのでしょう。
喧噪の世の中ですが、
安らぎの世界「浄土」を「心」に頂きながら
三日月の夜に静かに手を合わせたいと思います。
文/藤岡教顕 球磨郡湯前町生まれ。人吉高校卒、龍谷大学文学部真宗学科卒。大学卒業後、龍谷大学職員、本願寺(西本願寺)宗務員を経て、2010年より浄心寺・明導寺住職。