明導寺さんは一昨年、仏教伝道協会主催の掲示板大賞において見事「仏教伝道協会大賞」を受賞されました。
明導寺藤岡住職の解説と共に7月上旬の掲示板の言葉をご覧ください。
<明導寺 7月上旬 掲示板の言葉>
過去の事実は変わらないが、過去の意味が変わります。
過去の意味が変わったならば、過去の景色が変わります。
【梯 實圓(かけはし じつえん)先生】
熊本県南部を襲った「令和二年七月豪雨」から、7月4日で早くも2年を迎えます。
随分と昔の出来事のような思いもありますし、つい先日の記憶のような感覚もあり、様々な思いの中で「この日」を迎えた方も多かったことでしょう。
まだまだ完全復興とは言えず、河川・山林・道路など補修工事が継続して行われています。
今年は早い梅雨明けとなり、梅雨末期の集中豪雨の心配はありませんでしたが、台風が例年以上の勢力になるのではないかと危惧されるところです。
発災後、検証が続けられた中で、猛烈な豪雨による河川の氾濫は「川の津波」とも言われ、67人の方の大切ないのちが奪われ、いまだに2人の方が行方不明の状況にあります。
また、2年が経過しても2000人以上の方が仮設住宅で過ごされている現状を見るとき、完全復興への道のりは長く険しいものであると感じています。
さて、私たちは、2年前の豪雨被害による辛く苦しい経験だけでなく、過去の辛い出来事を何年も引きずってしまう傾向があるように感じます。
その出来事が辛く苦しいものであればあるほど、その記憶がよみがえってくるのでしょう。
さらには、「なぜ、こんな目に遭わないといけないの」と過去の出来事を悔やんだり、「あのときこうしておけばよかった」と後悔の念に駆られる方も多いのかもしれません。
感情論に振り回されること無く、冷静にこの思考回路を辿ってみると、「過去」というものが、どこかにあるわけではなく、「過去」という「記憶」を、自分自身で「悪い出来事」「辛かった思い出」と線引きしてしまっているのです。
つまり、「辛かった過去」があるのではなく、「あの時は、辛かった」「この時は、しんどかった」と思っている現在の自分自身が、過去の「出来事」を辛いものと判断してしまっているのです。
私たちの人生には、絶望の淵を彷徨うような本当につらい過去が存在します。
起きてしまったその事実は、誰であろうが決して変えることができません。
しかし、その事実をどう受け止めるかによって、その事実の意味が変わるのです。
「令和二年七月豪雨」の出来事は、本当に辛く苦しい過去であることには変わりませんが、いかなる状況にあろうとも、寄り添い続けてくださる仏さまの温もりを頂くとき、「辛かっただけの過去」が「意味のある過去」へと変えられていくのです。