三日月城(人吉城)
エリア/ 三日月城 ジャンル/ 神と仏風水都市人吉の中心。巨大な結界の中心でもある。初代長頼が正治元年(1199)築城を始めた際「三日月文様」のある石が出土し、相良家はそれを霊石として崇めるようになったことから「三日月城」と呼ばれるようになった。
時は経て戦国時代、文武兼備した名君・18代相良義陽(さがらよしひ)は、戦国最強軍団の1つとも言われる薩摩・島津家と五分の戦いを繰り広げていた。
勢いある義陽は大きなビジョンを打ち出し、今までの山城から当時としては最新鋭の城構築を目指す。
それは風水思想に基づき、巨大な結界を設け、気を三日月城に集めるグランドデザインだった。
まず行政府であり、当主が居住する「御館」の場所を現在の相良神社の位置に選定した。それにより、御館と願成寺は寸分違わないほどの北東丑寅鬼門ライン上で結ばれることになる。風水思想最大の懸案である鬼門守護を願成寺に託したのだ。願成寺は相良家初代からの当主が眠る菩提寺である。
その後、義陽は風水思想に基づき城を護るべく八卦の位置に様々な神社仏閣を据える計画を立てるが若くして戦死する(享年38歳)。
その三日月城を中心に風水都市を作るビジョンは息子に受け継がれ、20代長毎(ながつね)の時代にようやく完成する。
風水都市・人吉は戦国時代〜江戸時代を通じて実現された親子2代に渡る物語でもある。
国指定史跡
名称
三日月城(人吉城)
読み方
みかづきじょう(ひとよしじょう)
住所
〒868-0051 熊本県人吉市麓町
人吉IC/人吉球磨ICから共に5分
駐車場
有り