人吉球磨地域は鎌倉初期から明治維新まで、700年に渡り相良家が統治していました。
相良家の本拠地である人吉城は、別名三日月の城といいます。
それは、相良家初代相良長頼が建久10年(1199年)城を工事する際に三日月模様の石が出土したことから命名。
その日は、なんと月暦で正月の三日、三日月が昇る日でした。
その石は霊石とされ、時代ごとに城の鬼門や本丸に祀られ、相良家が約700年に渡り祈りを捧げるようになります。
古くから、月は日本人にとって神聖な存在でした。
日本書紀に“夜を治める神”としてツクヨミ(月読)が登場します。
天空で唯一満ち欠けをする姿が死と再生をイメージさせ、
若返りの神として、潮の満ち引きからは水の神とも連想され、暮らしでは暦は月の満ち欠けで数えるようになり、
月は人々の暮らしに欠かせない存在になります。
日本の神の特徴は、目に見えないことです。
しかし、代理人はたくさんいます。
代理人の多くは“美しい自然”です。自然界にたくさんの神がいる、
八百万の神と呼ばれる所以ですが、その代表の1つが石です。
神が憑依した石を磐座(いわくら)といいます。
霊石・三日月石は、三日月の気(パワー)を持つ石、
三日月の神の化身(磐座)として、約700年に渡り三日月の城に鎮座します。